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 「世界の国々・人々」と題したこのコーナーでは、ある国にスポットをあて、その国の文化・人々との交流を、いろいろな形でお届けしていきます。
 新たに、多文化共生の先進国であるオーストラリアで、マッコーリー大学の日本学科長、および日本教育研究センター長であったCHOW先生にエッセイをお願いすることができました。

 「多文化に生きる」 (チャオ・埴原三鈴〈Misuzu Hanihara Chow〉)

 

多文化に生きる
1回 「序」

 7月にNIMIC代表理事の佐々木瑞枝先生がシドニーにいらっしゃいました。日本研究の国際学会出席のため、大学院生二人をお連れになっての来豪でした。真夏の東京から、真冬のシドニーへ、大変な季節差です。でも、相変わらず精力的に仕事をこなされていました。何年も前から敬愛申し上げている先生と久しぶりにお目にかかって話しがはずみました。その時、NIMICの話を伺い、Website寄稿の話になりました。

 お引き受けすることにしたのは、私自身の人生経験が少しはお役にたつかも
しれないと考えたからです。もともとは東京生まれの東京育ち、小学校から
高校までは成蹊学園でしたから、西東京市はなつかしい地域です。早稲田大学
卒業後米国の大学院に留学、そして結婚、その後の人生は総て海外で送ることになりました。アメリカ、カナダ、オーストラリアの三国に暮らして40年以上になります。どの国も多文化共存の国です。三国の何れもイギリス植民地が独立して、多民族の移住によって築かれた国です。人種構成も似通っています。
しかし、人種間の摩擦、多文化による恩恵ということを考えると、三国に暮らしてみた体験から、オーストラリアが一番成功している気がします。二人の娘もオーストラリアで生まれ、多文化の豊かさを存分に受けて育ちました。
 だから愛着が特別強いということも無論ありますが。

 オーストラリアの人口は現在2千万人余り。その4分の1に当たる約5百万人が海外から移住した要するに一世です。出身国は、英、米、カナダ、ヨーロッパ各国、アジア各国、中東、アフリカ、南米諸国など、主要出身国だけ数えても50カ国以上、世界の全地域に及びます。共通語は英語ですが、家族レベル、あるいはコミュニティ・レベルで使われる言葉はイタリア語、ギリシャ語、中国語、スペイン語、トルコ語、アラブ語などを含めて40カ国語近くです。

 ご存知の人も多いと思いますが、オーストラリアは建国の1901年から通称「白豪主義」と呼ばれる政策をとりました。これが、海外からの突き上げもありましたが、むしろ国内の知識層を中心とする動きによって撤廃されたのが1970年代初めのことです。それから40年間、新生オーストラリアのアイデンティティに多文化主義を掲げ、政府から民間にいたるまであらゆるレベルで努力がされました。多民族がただ単に共生するのみでなく、異文化を不利と考えず、多文化の恩恵に焦点を当てるという努力です。この意識的努力がオーストリアを多文化共生の成功国にしている理由の一つでしょう。

 多種多彩の文化が肩を擦れ合わせている社会で生きるということはどういうことなのか。日々の経験の中から何を学ぶのか。私自身の体験を元に、次回から書いてみたいと思います。
     (チャオ・埴原三鈴〈Misuzu Hanihara Chow〉)


<2009年NIMIC通信9月号掲載>

 

2回

 長女が12歳の頃であった。シドニー郊外のハイスクールに通っていたが、ある日、友達を沢山連れて帰宅したことがある。元気で食べ盛りの年齢。さぞお腹がすいていることであろうと早速台所に立った。こういう時はサンドイッチが一番手っ取り早い。常套手段は、サンドイッチの材料をいろいろテーブルに並べて、かってに作ってもらう。それぞれの好みに合わせて好きなように作ればいい。大皿を出してまずハムから並べ始めた。そこに娘が入ってきた。皿を一目見て私に云った。
「マミー、ハム駄目じゃない。ジェニーがいるのに。」
 私はハッとした。そういえば仲良しのジェニーはユダヤ系、ユダヤ系は豚肉が食べられない、ハムは豚から作るのだった。
自分のうかつさに気づいて、あわててハムをひっこめ、卵、トマトなどに切り替えた。

 オーストラリアの子供たちは、自分の友達それぞれが持つ文化背景の違いをいつの間にか飲み込んでしまう。友達の家に遊びに行けば、文化によって慣習がちがい、食べる物も違う。宗教によっては食べてはいけないものがはっきり定められている場合もある。ユダヤ教では豚肉ばかりでなく、貝類、甲殻類など食べられない。インドのヒンドゥ教であれば牛肉が駄目。菜食者も多く厳しい場合は卵も駄目。イスラム教も豚肉はいけないし、ほかにもいろいろ制限がある。オーストラリアで育つ子供たちは、宗教の違いなどと難しいことを考える前に、
「○○ちゃんはxxが食べられない」
と自然に受け入れてしまう。好き嫌いのわがままで食べないのとは違う。それは子供であっても、相手のアイデンティティであり、尊重すべきことなのである。

 

3回

 オーストラリアでは21歳の誕生日が特別なお祝いである。日本の成人式に近いといえるかもしれない。友人を集めて盛大なパーティをすることが多い。
我が家でも娘の21歳の誕生日には自宅でパーティをすることにした。大学や高校時代からの友人を集めて客は約150人。この人数では、とても私自身の手料理でまかなえるものではない。パーティ専門店を頼むことにした。

 さて問題は献立である。送られて来た献立リストを眺めて一家で頭をひねった。
先ずお肉。友人にはイスラム教もユダヤ教もヒンドゥ教もいるから、牛、豚は駄目。安全なのは鶏と羊である。海鮮類は貝や甲殻類を避けると、やはりお魚の切り身が安全そう。インドのブラーマンの家に育った人もいるから、厳しい菜食者のための野菜料理。カレー料理もあれば、中華風、アラビア風、いろいろ混ぜる。巻き寿司は意外に無難。それにオーストラリアらしくサラダを幾種類か加えて・・・ 当地で生まれ育った娘二人の智識に頼りながら、パーティに来る誰もが不都合なくお腹一杯食べられるように、できるだけヴァラエティにとんだ献立を作り上げた。注文を受け取ったパーティ専門店は慣れたものである。あらゆる文化の入り混じった献立を見ても、当たり前のことといわんばかり。何の疑問もなく気楽に引き受けてくれた。

 パーティの夜、照明が明るく庭を照らした。ヴェランダにいくつもの長テーブルが置かれ、所狭しと並んだ料理は色とりどり。楽しげにおしゃべりしながら、旺盛な食欲でそれぞれのお皿に料理を取り分ける若者たち。彼らの肌の色も髪の色も、これまた色とりどりである。でもそんな違いは誰も気づいてすらいない。娘は二人とも医学部であるから、友達もほとんどが医者の卵。
共通するのはそれくらいのものであろうか。自宅に帰れば、夫々親から伝わる文化がある。しかしこうして集まれば、皆オーストラリアで育ち、同じ大学に通い、共に青春を謳歌する友達同士なのである。

 友人に囲まれて楽しそうにしている娘二人の姿を見て、ああオーストラリアで育って幸せな娘たち、と思った。オーストラリアの子供たちは幼い時から、友達を通じて数多くの文化に接し、それを肌で学んで育つ。それは異文化に対する敬意と寛容度を育て、本人たちの人間の幅を広げる。グローバル化が進む21世紀の世界で生きていくための素晴らしい技能ではないかと思う。

 

 4回

 世界を震撼とさせた9.11。その直後、私の勤務するシドニーのマッコーリー大学では「イスラム教学生のための祈りの会」が開かれた。
総長ダイ・ヤーブリーの発案であった。彼女はオーストラリアの大学で初の女性総長として有名になった人である。出身はイギリスであるが、若い時にオーストラリアに移住、多文化主義に心底から共鳴した。そして教育者の立場から、大学での実践を積極的に行っていた。

 9.11後、世界各地でイスラム教に対する感情的な非難が上がった。この状況の中で彼女が学生に訴えたメッセージは「9.11は世界の悲劇である。一宗教の問題ではない。このような悲劇が二度と起こらないためには、宗教を超え、皆が一体にならなければならない」。 彼女の呼びかけに答えて集まった学生は数百人、学生ホールはいっぱいになった。イスラム教の学生ばかりではない。キリスト教の学生も、普段は特に宗教に関心を持たない多くの学生も、誰に強制されることなく集まり、真剣な態度で世界平和を語った。「9.11の犠牲者にはイスラム教徒も沢山含まれている。その人たちのことも念頭において、一緒に冥福を祈りましょう。」 総長のことばに、皆静かに頭をたれた。普段やかましい学生ホールが一瞬にして清浄な静けさに包まれた。

 多文化の国に住んでいると、世界の動きに対する反応が敏感になる。国民各自が持つ人種的、文化的背景に直接関係するからである。知的好奇心が旺盛で、熱気盛んな若者たちでいっぱいの大学キャンパスはともすれば危険を含む。そんな時、感情的過激論に走らず、悲劇的事象をも「学びの糧」に還元するのはどうすればいいのであろうか。教育者の信念と能力が試される時である。マッコーリー大キャンパスには9.11よりずっと以前からイスラム教学生のための「祈祷室」が設けられている。キリスト教のチャペルもあるのだから当然のこといえるが、総ての大学がそうであるとは限らない。
イスラム教徒は中東に限らず、インドネシア、マレーシア、インドなど近隣国にも多い。その地からの移住者も近年増えている。心遣いが大切になる。

 キャンパスでは、今日も学生達が三々五々教室に向っている。人種背景はいろいろだが、男女とも殆どがジーンズ姿。万国共通の学生ファッションであろう。でも、ジーンズにTシャツでありながら、頭をきれいな色のヴェールで覆っている女子学生がいる。濃い髭の伝統主義ユダヤ系学生もいる。9.11直後、学生たちの心理状態を案じて、特別のカウンセリング・サービスも設けられた。しかし、キャンパスに不穏な事態は一度も起こらなかった。友達と楽しげに語り合う学生たちの様子は今日も変わらない。

 

 5回

 「オーストラリア人の英語は分りにくいですね。トゥディをトゥ・ダイと言いますからね。」いまだにそういうことをと云う日本人に出会う。200年前に来た、あるいは流刑囚として連れてこられたイギリス人にはコックニィの英語が多かった。これをからかって大げさに言ったのが、上記の神話(?)の起源とみられる。今のオーストラリアで純粋のコックニィを聞くことは少ない。しかし、先入観というのは恐ろしい。日本人観光客には「オーストラリア人の英語だから分らない」と首を振る人が未だに多い。

 英語が世界共通語になった現在、「xx人の英語が分らない」というのがそもそもおかしい。フランス人であろうが、イタリア人であろうが、皆それぞれの国のアクセントで英語を話す。例えば、歴代の国連総長が英・米から出たことは一度もない。どの国連総長も、自国特有のアクセントで英語を話すのが常である。現国連総長の英語は完璧であるが、韓国のアクセントで話す。しかし、国連総長の英語が分らないという人はいない。

 オーストラリアの人口はその4分の一が海外で生まれた人である。街を歩いても、電車に乗っても、あらゆる国のアクセントの英語が聞こえてくる。
イギリス人といっても、英語は一つでない。アイルランド、スコットランド、英国南部など、それぞれアクセントが違う。ニュージーランド人も特有のアクセントで話す。南アフリカ出身者もしかり、である。

 私が勤務した大学の外国語学部には13ヶ国語の学科があった。仏、伊、スペインなどのロマンス語系、ドイツ語、ギリシャ語、ロシア語、ウクライナ語、セルビア語、マケドニア語、加えて日本語、中国語、などなど。教授陣もそれぞれの国のNative Speakerが多いから、学部会議ともなると、あらゆるアクセントの英語が飛び交う。国が違えば、文化背景も違う。議論になれば、背景になるロジックも論法もおのずと違ってくる。聞く方は相手の文化背景を考慮して理解しないと、判断をあやまることになる。正に多文化共生の訓練場である。

 「オーストラリア人は私のつたない英語でもよくわかってくれますね。」 
これも日本人訪問者からよく聞く。要はオーストラリ人が「聞く耳」を持つということである。普段からいろいろなアクセントの英語に聞き慣れていることは確かである。しかし、根底にあるのは、耳慣れないアクセントも、一風変わったロジックもひっくるめて、まず相手のいうことを理解しようとする姿勢である。ここに寛容さが生まれ、「xxx人の英語は分らない。」などという偏狭さの入る余地はない。

 

 ご家族で クリスマスの日の赤ちゃん 生まれたばかりの赤ちゃん 

一番左の写真は次女の夫が写真を撮りましたので、彼だけが抜けていますが、その他の一家全員です。中央の写真の孫は11ヶ月。日本、中国、インドの血を受け、オーストラリア、カナダの両国籍を持つ、まさに21世紀のMulticultural Babyです。

 

 6回

 長女が7歳の時、郊外に移った。娘が新しい小学校に転入して数週間後、心配なことが起こった。娘が東洋人であることをやんやとはやす、いじめっ子が数人いることが分ったのである。娘にとっては初めての経験で急に不安を感じるようになった。

 親としてこの事態をどう処理すべきであろうか。「そんなことすぐ過ぎることだから真剣に考えることないわよ。」と言うオーストラリア人の友人もあった。でも聞くうちに、この種のいじめは娘だけではないことが分った。
ドイツ系、イタリア系などの子供は「ウォグ」とはやされ、イギリスから来て英国アクセントの強い子は「ポム」と呼ばれている。いずれも侮蔑的な呼び名である。オーストラリアが白豪主義を破棄したのは1972年、娘が生まれた年である。「多文化主義」が新しく国の政策として打ち出されてからまだ数年、まさに過渡期であった。この大切な時期にこのような事態をほっておいてはいけない。害を受けるのは娘や、いじめの犠牲になっている子供だけではない。いじめっ子たちの将来にも悪影響がある。そう考えて、校長先生に会いに行く決断をした。

 校長先生は年配の優雅でしとやかな女性であった。しかし教育者として筋金が通っていることはすぐ感じた。私の話を聞いた彼女は椅子から転がり落ちんばかりに驚いた。「そんなことが起こっているなんて知りませんでした。
さっそくその悪者たちをみつけて厳しく処罰します。」すごい剣幕であった。
あわててなだめにかかったのは私の方であった。自分の娘のことだけではない。長い目でみて、皆が学ばなければならないことではないか・・・ 私の話を最後まで聞いた彼女は、うなずいて「よく分りました。お任せください。」と言った。

 彼女の行動は早かった。まず娘を木陰のベンチに呼び、一緒に座ってやさしく話してくれた。「あなたがこの学校に来てくれて、とても嬉しいの。皆歓迎しています。もし、いやなことを言う子供がいたら、直ぐ私のところにきて教えて頂戴ね。」 新入生の娘をまず安心させた。そして次に7歳児、8歳児のクラスを一つ一つ廻った。人の外見が違う、アクセントが違うといってからかったりいじめたりすることがいかに間違っているかを、子供たちに分りやすい言葉で話した。

 その後いじめっ子が消えたわけではない。しかし、娘の不安はすっかり消えた。人種によっていじめるのは間違っているという真理が校長先生始め、学校ではっきり表明されたのである。次にいじめっ子にからかわれた時、娘は告げ口には行かなかった。でも他の子供達が先生に言いつけに走った。
「いけないことなのよ。」という概念が子供たちの心に浸透したのである。
娘にとってはそれで十分であった。それからは何のくったくもなく新しい学校に溶け込んでいった。

 

チャオ・埴原三鈴(Misuzu Hanihara Chow)プロフィール
チャオ博士 早稲田大学政治経済学部新聞学科卒業
 カリフォルニア大学バークレー大学院 修士
 日文研審査により 学術博士(PhD)
 カリフォルニア大学バークレー、トロント大学で日本語、及び日本文化を教えた後、オーストラリアマッコーリー大学〔国立〕において日本学科設立
 1988−2006年 同大学日本学科長
 1994−2007年 同大学日本教育研究センター長兼任
 2007年 同大学退官
 現在 同大学名誉賛助員

 

バックナンバー

*『71日間、世界の青年たちとの船の旅(全27回)
「モンゴル通信全5回」2006年10月から2007年2月まで連載
<以上2編は、NIMIC代表理事であり、武蔵野大学・大学院教授でもある佐々木瑞枝先生のNIMIC通信への書き下ろしエッセイです。>

 



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