NIMIC通信 No.209 2022年6月号-2

もくじ
[1] 予告:SDGsと多文化共生講座
[2] 「アートみーる」新規ボランティア募集
[3] サリーさんの多文化サロン終了報告
[4] 日本語ボランティア連絡会参加報告
[5] 2022年度会費納入のお願い
[6] エッセイ:北京の窓から 1998-99 (14)

[1] 予告:SDGsと多文化共生講座

保谷こもれびホールと共催で、7/27と8/3いずれも水曜日の午後3時から、2回連続で若い人を対象の講座を開催します。詳細は次号で。

[2] 「アートみーる」新規ボランティア募集(西東京市から)

市内小学校の授業や地域のイベントで、対話をしながら美術作品の見方を深めるお手伝いをする「対話による美術鑑賞」事業のボランティアを募集します。
また、活動に関心のある方々を対象に体験会兼説明会を実施します。すでに活動しているボランティアの話も直接聞くことができます。興味があるけど迷っている方、どうぞお気軽にご参加ください。
日時:6月27日(月) 14時00分~16時00分
場所:田無庁舎5階502・503会議室
※詳細につきましては、以下HPをご参照ください。
https://www.city.nishitokyo.lg.jp/enjoy/enjoy/taiwa.html
主催:西東京市

[3] サリーさんの多文化サロン終了報告

6月11日(土)、こもれびホール内のカフェラウンジはなみずきで多文化サロン「サリーさんと語るイギリスの暮らし」を実施しました。講師は、NIMICの活動を多方面から支えていただいているサリーアン ニューンハムさんで、参加者は15名、イギリスの生家や伝統的なお祭りメイポールダンス、イギリスのクリスマスなどの写真を見ながら参加者同士で話しあい、意見を出し合いました。終始和やかな雰囲気の中、最後にコンカースという栃の実を使ったイギリスの伝統的な遊びを実際に体験してもらい楽しく終了することができました。

[4] 日本語ボランティア連絡会参加報告

5月27日の午後6時半から、日本語ボランティア連絡会が開かれ、市内の日本語ボランティア教室スタッフが集まり、各教室の状況を共有しました。
この連絡会は、西東京市が誕生した翌年の2002年に5団体で始まり、現在はNIMIC子ども日本語教室も含めて12の教室がメンバーになっています。年に2回の開催ですが、常時参加している7団体が輪番で司会を担当し、複数の教室に参加するスタッフもいるので、どの教室の状況もほぼ共有できています。NIMICは毎回参加して、NIMICの事業への協力をお願いしたり、課題を聞いて解決を図ったりしています。他に、文化振興課とボランティアセンターも参加しています。

[5] 2022年度会費納入のお願い

NIMICの様々な活動は、皆さまの会費に支えられています。活動に参加できる方もできない方も、多文化共生の地域づくりのために、年会費という形で活動を支えてください。
2022年度会費の納入を、6月末までに以下のいずれかでお願いします。

年会費は以下の通りです。
個人会員:2,000円、学生会員:1,000円、
家族会員(ご夫婦と18才以下のお子様が対象):3,000円

1.銀行振り込み
口座名はどちらも「特定非営利活動法人 西東京市多文化共生センター」
1)みずほ銀行ひばりが丘支店 普通預金口座 2386979
2)三菱UFJ銀行田無支店 普通預金口座 0034665

2.クレジットカード
ホームページから手続きをお願いします。
https://www.nimic.jp/?page_id=1476

※既にお支払いいただいた方、ありがとうございました。

[6] エッセイ:北京の窓から 1998-99 (14)
「平成」の起源、西安を訪ねて

平成10年秋、大学の語言実践活動の一環で、西安を訪れた。紀元前11世紀から約千年にわたり、都があったところだ。
一番の見所は、始皇帝と共に埋められた兵馬俑。巨大な空間に数千体。そのスケールに圧倒される。撮影禁止だが、広すぎて警備が手薄なのか、シャッターを押す音が聞こえる。
兵馬俑の最初の発見者は、考古学者ではなく、農民だと言う。そしてその「第一発見者」という人物が博物館の一角に。ミーハーな私は、すかさず握手を求め、一緒に写真に納まる。ところが、また別の土産物売り場にも「第一発見者」を名乗る人物が。彼は兵馬俑の写真集に毛筆で署名をし、売りさばいている。一体どちらが本物なのか。結局謎だったが、彼らの逞しい商魂に舌を巻く。
次は、碑林博物館。ここには、歴代の書家の碑を集めた石碑の林がある。そして、尚書の一節、「地平天成」の文字を刻んだ石碑も。平成の起源だ。
西安は昔からの城壁が街を取り囲む。城内の西側に、イスラム通りという名の通りがあった。李白が通い詰めた市場あたりか、と思いを馳せる。西安はシルクロードの起点でもあったのだ。
西安で思い出すのは、遣唐使・阿倍仲麻呂だ。彼はこの地で玄宗皇帝に仕え、再度日本の地を踏むことはなかった。
「あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」
私は西安の月を見上げた。昔は遥か遠かった異国の地も、今や飛行機で1本だ。もっともっと交流があってもいいはずだ。
(NIMIC会員 佐藤泰治)


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